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人一倍、親には苦労をかけた。
末っ子でわがままばかりきいてもらった。
ほしいものはそれがどんなに高くても、だだをこねれば最後には買ってもらえることを知っていた。
ゲームもトランペットもピアノも、どんなものでも。
その中でも勉強やサッカーに関するものはとくになんでも買ってくれた。
母は父におこられるのがこわくて「お父さんには内緒やで」といってこっそりかってくれた。
父がそれに気づいておびえている僕に、「いいもの買ったな」と笑って頭をなでてくれた。
うちが貧乏なのは贅沢や無駄遣いをしたからではない。お金の知識がなく、そして愛情があったからだ。
家を改築したときには、無理をいって姉が使うはずだったきれいな部屋を僕がもらった。
母親は頭をさげて今時うれそうもない着物や化粧品を必死に売っていた。
大学には3つもいかせてもらった。
父親とは何度もけんかした。
中学生になってから僕が反抗しても父親は感情をおさえて「そういう言い方をするな」とやさしくなだめるようになったが、僕が母親に反抗したときはとくに感情をあらわにして僕をなぐった。
僕も感情をおさえられずなぐりかえしたが、そんなときはさらになぐられて負けた。
一度、大学生のとき反抗しておしたおしてしまった。それ以来僕はそういうのを一切やめた。
今もあまり仲はよくない。好きなのに反抗してしまう。
僕と父はあわないのだ。性格が似ていて。
就職をしなかったこと、結婚しなかったこと。
父親は心配して言ってくる。
僕は「わかったからほっといてくれ」と言う。
僕の方が勉強してきて頭がいいんだからほっといてくれと思う。
着物屋をやっていたお前にいわれたくない。
時代がちがう。
僕は理屈をならびたてて、父を否定した。
俺はなにをおもいあがっているのだろう。
全部両親が一生懸命働いて育ててくれたから今の俺があるのに。
最近ではまた仲がわるくなってしまった。
僕が子どものように愛する猫についていろいろいってくるので、「猫のこと言うならお前がどっかいけ」とか思う。
でも、家に帰るといつも「ご飯たべてけ」と言ってくれる。
ことわっておくが父と仲はわるくても、僕は父が好きだ。いつも昔遊んでくれたことを思い出すし、心配してくれているのもわかっているし本当に感謝している。
僕にはこのサッカー教室をやるにあたって、いろいろな構想がある。
考えれば考えるほどもえていった。
だけど、そんなことより僕が一番なしとげたいのは両親への感謝を伝えることだ。
僕はまっさきに両親に「サッカー教室はじめた」といって伝えた。
きっと両親はこれを見続けてくれるだろう。
僕はネットで商売をしたり、受験勉強を教えたり、いろいろやっているが、どれも親に自信をもっていえるものではない。
でもこれは僕は両親に自信をもっていえる。
「お父さん、お母さん、みてみて」って子どもだったときのように
昔、母親にみてもらえるのがうれしかった。
僕は母親にみせたくて必死に練習した。
中学のとき、試合にでれなくなって、試合みにくるなといった。
それでも母親はかくれて遠くからみていて、またけんかになった。
中学の最後の大会、父親は忙しい仕事をぬけだしてみにきてくれていた。
僕は少ししか試合にでれていなかったことが恥ずかしかった。
でも今思うとそんなことはどうでもよかったのだろうと思う。
僕は元気に健康に生きなければならない。
小さなことで悩まずに笑顔で生きなければならない。
気づいたら自分も歳をとり、もう両親もあと何年かかもしれないと覚悟している、
ほんとならもっと金持ちになって、すごい仕事について、両親を楽させてあげたかった。
でもそれができなかったこと、もう間に合いそうにないことをほんとうに悔しく思っている。
今も父親は好きだが、うちとけて話せないことを悲しく思っている。
もっと一緒に父の好きなお酒を飲んであげればよかった。
だけど、残された何年か、僕は父母にこのサッカー教室を見せ続けたい。
兄弟の人生も孫の人生も、僕が全てよくしてやるから安心してほしい。
これが今までのお礼と感謝、そして僕がこの人生でつくった最高傑作だ。
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